介護を始めて初めて見えること(1)
- 中沢
- 3月15日
- 読了時間: 6分
老老介護、ヤングケアラー、介護離職など介護にまつわる色々なニュースを見てきました。
人間誰しもそうだと思いますが、自分の身に起こらないと、なかなか他人事の域を出ないのが実態ではないでしょうか。
私もご多分に漏れず、何度となくそうしたニュースを見ても、「辛い話だ」「酷い話だ」とは感じていたものの、そこまでに留まっていました。ましてや、それを解決しようとか、何か一石を投じるようなことをした行動は起こしていませんでした。
「どう考えてもおかしい…」
70代の母親の異変に気が付いたのは一昨年の秋頃でした。もともと陽気な性格でよく喋る性格だったために、言い間違いや記憶違い含めて変なことを言うことはよくありました。
が、明確におかしい。
感情の起伏・振れ幅が大きすぎる。記憶違いの、物忘れが度を越えている。物忘れをしたエピソード自体も忘れるので、1-2か月に1回くらいで会話するたびに、どんどん会話がかみ合わなくなってくる…。
薄々自覚があったようでしたが、大きなきっかけがありました。
友人と旅行に行こうとしたときに、キャリーバッグを携えて駅で電車を待っていて、電車に乗って何駅かすぎたところで、キャリーバッグがないことに気づきます。駅のホームにキャリーバッグを置いたまま電車に乗っていたのでした。忘れっぽいとかの度を超えたエピソードです。
最初は近所の内科や精神科で何回か見てもらったようでした。
しかし、診断結果は「異常なし」。そしてなぜかうつ病の薬を出されていました。
言われたとおりに飲んでいたものの、状態は変わらない。どころか、悪化。
大好きだったゴルフをしていても、打数のカウントに自信がないことが恥ずかしくて、自分から足を遠のかせてしました。
麻雀も同様に、もともとよくわからなかった点数計算が余計わけがわからなくなり、恐らく文句のように伝わってしまっていたのか、回りから声がかからなくなってきます。
そうして日常生活の中の楽しいことから遠ざかることと症状の悪化が、負のサイクルを形成していくようでした。
近所に兄が住んでいるものの、どこか冷たい。面倒なのでしょう。
少し遠方に住んでいる私が、医師になっている学生時代の同級生に相談したところ、認知症の疑いが極めて高いので、専門としてずっと熱心に取り組んでいる院長のクリニックの紹介を受けます。
それが昨年2月。
ここから、私が全く知らなかった介護業界とのかかわり合いが始まります。
実はひょんなことから40代後半の時に半年だけ、アルバイトとして週1回デイサービス施設で利用者の送迎をしていたことがありましたが、そこでは色々なご家庭の事情や事業者の事情を垣間見ました。でもその頃に見たものなんて、本当に「垣間見た」だけだったことを思い知ります。
「薬はあるが出せない」
よくわからないけど、とりあえず何か事態が改善される薬など出して欲しい。
そう願って紹介された専門クリニックに行きました。
念のためホームページを見ると、「初回は必ず予約するように」と注釈が書いてあります。診断ができる先生が限られているからか、曜日が決まっています。
仕事のやりくりをして、なるべく早いタイミングで一緒に行きました。もう既に、一人で新しいところになんて行けない状況でした。
そんなわけのわからない感じになっていても、自分を生んで育ててくれた母親ですから、早く苦しみを緩和させてあげたい。
初回の検査は1時間半ほどかかりました。脳の画像を取ったり色々なテストをしたりと。
認知症の寸前ですね」と伝えられました。覚悟はしていたもののショックでもありましたが、「寸前なのか?」と、意外でした。エスカレートはまだこれからなのかと。
続いて、驚きの一言が。
「薬は、まだ出せません」
と。
「なぜ??」と尋ねると、院長曰く、「薬をきちんと飲み続けられる体制を作らないと」とのこと。ただ、そもそも治す薬は世の中にない。「進行が止まるかもしれない」という薬があるが、それが出せない、と。
理由を尋ねると、認知症が進むと、ずっと飲み忘れたり、一度に大量に飲んだりするケースが出てくるので、気軽には出せないということでした。決まった通り薬を飲むことも怪しくなっていくんですね…。
「なるほど……ところでその、『体制』ってなんですか??」
「介護保険の適用です」
と。
「なんのことか?」と一瞬思いました。介護保険を払ってきましたが、受ける側に回るということです。
で、その適用を受けるためには、まず地元の役所で申請する。
その後、自宅で親族同席のもと、審査を受ける。クリニックに意見を聞くだけではダメだそうです。
認定されたら、受け入れてくれるケアプラザを選ぶ。これがまた需要過多なので、なかなかキャパシティが余っているところがない。なるべく家の近所が良いとか考えるものの、そんな贅沢は言ってられません。
ケアプラザを見つけたら、訪問し、相談に応じてサービス(私たちの場合は訪問看護)を行っている事業者を見つける。これも同様に需要過多なので、「見つかるかなあ?」という不安の声をあげながら目の前で電話で探してくれます。
電話で応じてくれた看護事業者が自宅に面接に来つつ、どんな内容にしていくかの打合せします。
サービスが始まったら、ようやくクリニックに行って、薬を貰う。
この間、6回同席・同行し、3か月かかって、やっと薬がもらえました。

自分は純然たる会社員でもないのである程度時間が自由にできますが、いちいち回りに許可をもらわなければいけない環境だったとしたら、ものすごいストレスだったでしょう。
たかだか薬を貰う、それだけのことにどうして3ヶ月もかかるのか。不正を防ぐためとか、需要過多であることなど、諸々事情はあるのだとは理解しているものの、やるせない想いが湧きました。
薬の効果が出ているのか出ていないのかはさっぱりわかりませんが、少なくとも「困った状況になって、その原因がわかって、一応できるだけの最善のことはしている」ということで、本人も私もストレスは少し落ち着きました。
ただ、着実に進行しています。
自分の親が違う人間のようになっていくのを目の当たりにするのは、とても辛いです。
神様が作った残酷な病気だと思います。
が、多くの人が大なり小なり同じ悩みを抱えているのだと思い、何かしら世の中のためになれることはできないかなとも考えるようになりました。
介護はようやくスタートラインに立てたばかり。私はまだまだ働き続けなければいけない立場でもあります。
思うことが浮かんだら、書き記していきたいと思います。
Comments